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- Inperishable Will【まえがき】 - 御神楽 紫苑 [1/23(Wed) 2:35]
Inperishable Will【1:極炎の姫君・前】 - 御神楽 紫苑 [1/23(Wed) 2:43]
Inperishable Will【1:極炎の姫君・後】 - 御神楽 紫苑 [1/23(Wed) 2:47]
Re:Inperishable Will【2:赤毛の兄妹・前】 - 御神楽 紫苑 [1/29(Tue) 1:53]
Inperishable Will【2:赤毛の兄妹・後】 - 御神楽 紫苑 [1/29(Tue) 2:50]
Inperishable Will【3:夜は踊る】 - 御神楽 紫苑 [3/1(Sat) 19:55]



Inperishable Will【2:赤毛の兄妹・後】
御神楽 紫苑 [Mail]
1/29(Tue) 2:50

 お互いに名乗りを済ませ、一人が三人になって、猫目堂へと向かう道。
 兄の名をアレス、妹の名をアレシエルという兄妹は、きょろきょろと辺りを見回す妹の手を兄が握り、紫苑の後についてきている。
 紫苑が贔屓にしている『猫目堂』は、調合材料となる様々な植物・鉱物や薬品に関して、この『篝火横丁』の中でも最高の品揃えをもつ店のひとつである。
 種類が豊富なだけではなく質も兼ね備え、相応の値段を取られはするものの、外れがない事で一部に有名だ。
 その所在は横丁の奥の奥、一般の観光客達は最早寄り付かず、漂う蛍火もまばら、常に薄暗く人気のない場所。 よく猫の集会場と使われている場所でもあるため『猫町』と呼ばれる一角である。
 『猫目堂』の店主もまた、小さな瞳孔をした、奇妙に吊りあがった金色の目を持っているため、彼も猫又なのではないかと噂をされているし、魔導院の一部ではそれが事実であることは既にして公然の秘密でもある。
「随分奥まで入るんだな」
「一見さんお断りの店なのよ。 私は父が常連だったの」
 そんな事を話しながら、何個目かの角を曲がる。
 無秩序に乱立する建物――ほとんどは『ひねもす街区』成立前にあった、既に廃屋となった家屋や商店である――や街区の構造体を支える柱がまるで迷路のように入り組んでいる横丁の深部は、この場所をよく知るものによる案内が無ければ必ず道に迷うことで有名な場所である。 人気もあまり無く、五分ほど歩いた今も誰にも出会わない。
「ところで」
 紫苑はアレシエルの手を引いて歩くアレスに身を寄せた。
「気付いてる?」
 少し背伸び加減になって彼の耳元に唇を寄せ囁く。 傍から見ればそれは美男美女同士の甘い会話に見えたかもしれないが、内容は至って殺伐としたものだった。
「6人だな」
 アレスの見立てに、紫苑は「そうね」と頷いて、アレシエルの頭にぽん、と手を置いた。
「しばらくしゃがんで、目つぶってて。 あと耳もふさいどきなさい」
「うん」
 その言葉に、幼子は特に戸惑う様子も見せず従った。 さては、「こういうこと」は初めてじゃないわね、と見当をつけ、紫苑はアレスの方を見る。
「素直だなぁ。 普通は人見知りするんだが、こいつ」
「私の人徳ってものよ、きっと。 ま、情操教育に悪いわ、こういうことは」
「同感だ」
 皮肉げな口調で肯定する赤毛の剣士を横目に、紫苑は向かってきた方を見た。 敵も紫苑達が立ち止まった事――すなわち、自分たちに気付いたことを察知し、速度を速めて三人の方へと向かってくる。
 手に持つ得物は様々。 着用している防具や肌の色、ひいては種族も不統一な集団は、何者かに雇われた傭兵であろう事は容易に想像がついた。
 ならば、と紫苑は考える。 ――この集団は、誰を狙ってきたものか?
 自分自身という可能性を、まず彼女は除外した。
 現在の複雑な政治状況を動かす鍵である御神楽家、その当主の妹の身柄を押さえ、蘇芳との交渉材料に利用する――それは浅はかな者どもが考えそうなことではあるが、彼女が亡父に匹敵する強力な術師であるということを、彼らが考えに入れない筈はなかった。  このような有象無象の傭兵達を当ててくるはずがない。
 とすると、と紫苑は横目で、大剣を気だるげに弄んでいるアレスと、その後ろで丸くなっているアレシエルに目をやった。
 まさか、と思ったが、紫苑自身でないならばこの二人。 そこに至ったところで彼女は思考を打ち切り、眼前の敵に対する対処をいかにして行うか、という命題に切り替えた。
 得意の火炎魔術は真っ先に却下された。 この建造物の中にまた建造物がある空間内のそれも路地、道端には空箱やら塵芥やら可燃物が大量に転がっている場所である。
 下手をしようものならこの『ひねもす街区』が都の大部分を巻き込んで焼失しかねない。
 さらには、要は派手好きな彼女の得手とする術は爆炎、閃光、雷撃、空間爆砕などなど、どれもこの環境には不向きなものばかり。
「後始末も面倒だし……」
 やれやれ、というふうに呟いて、彼女は至極原始的な方法に頼ることに決めた。 すなわち、何の意味づけもしない、ただ指向性だけを持たせた魔力を放出する衝撃魔術。
「いまいちノらないわ」
「お前な……というか、あまりに慣れた対応だから聞き忘れてたが。 お前、戦えるのか」
「あら、私を誰だと思ってる?」
 アレスの、呆れたような口調での問いを、紫苑は鼻で笑い飛ばし、ゆっくりと勿体ぶった動作で腕を天井向けて掲げると、その先端、白く繊細な指を、ぱちん、と鳴らす。
「あぁ、知ってるわけもないか」
 そうしたところで紫苑があるひとつのことに気付き、発せられた少しばかりの残念さを含んだ声には、空気が弾ける乾いた音が続き、さらにはくぐもった悲鳴が連鎖した。
「そうね、自己紹介の続きをしましょっか――名は言ったわよね、確か。 姓は御神楽、氏は月読、位は従五位、立場は皇家内親王。 ま、だからって何が変わるわけでもない、精々ちょっとしがらみが増えるくらいよ。 宮家の内親王なんて継承順位も下の下、天照がちゃんとしてれば普通は気にもされやしない。 今は違うかもしれないけどね……」
 誰に聞かせるわけでもなく、淡々と。
「で、ここから大事よ?」
 言いながら、もう一度ぱちんと指を鳴らす。 吹き飛ばされてもめげることなく、じりじりと近づいてきていた傭兵達が、また悲鳴を上げて強制的に後退させられる――今度は先ほどより幾分か威力も上がり、何人かは足が重力を振り切って宙を舞い、後頭部から地面に激突するものもあった。
「魔導師。 この国で、達人と目される位階にまで至った魔術師に贈られる号。 そのひとりが私」
 そして彼女は、にこやかに相手に呼びかけた。
「さて、有象無象のみなさま。 私が皇国最高位の術師の一角だと知って、抵抗する意思はおありかしら」
 あるはずもなかった。





「二度と手ぇ出そうなんて思うんじゃないわよー」
 ほうほうの態で逃げてゆく傭兵達に向けて、ひらひらと手を振る紫苑。
 任務を達することができないばかりか、ほとんど戦いもせずに逃げ帰った彼らには、雇い主なり傭兵組織なりから何らかのペナルティが課されることだろう。
 しかし、それがたとえ痛みを伴うもの、ひいては死に直結するものであろうと、彼女の知ったことではなかった。
「なんだなんだ、勝手に一人で話進めて丸く収めやがって」
「丸いかどうかは知らないけど。 なに、戦いたかったの?」
「こっちはスイッチ入ってたんだよ」
 残念そうな顔で大剣を仕舞い込むアレスをよそに、紫苑はくるりと振り向いてかがみこみ、言われたとおりにうずくまって目を瞑り、両手で耳を塞いでいるアレシエルの背中をぽんぽんと叩く。
「ふえ?」
「もう終わったわよ」
 そう言いながら、砂色の外套のおかげで、まるで団子かなにかのように見えるアレシエルの肩を支えて立ち上がらせ、ぱんぱんと服についた埃を払ってやる。
「う?」
 顔を上げ、戸惑った様子であたりを見回す彼女を、アレスは抱き上げて肩の上に乗せてやった。
「で」
 そんな二人を、紫苑は真剣な表情で見据える。
「二人とも。 今の集団なり、狙われる理由なり。 ……心当たりは?」
 問う言葉は静かに低く発せられたが、そこには鋭いものがあった。 押し黙るアレス、うつむくアレシエル。 兄妹が揃って口をつぐんでしまうと、紫苑はふう、と吐息した。
「言えない理由があるってわけ? ま、私は赤の他人。 それなら敢えて詮索する事はやめましょう。 でも」
 一息置いて、彼女は再び問うた。
「多少のお節介はさせて貰える?」
「……ん?」
 目をぱちくりさせる妹と、問い返す兄。 最も、紫苑は是非の如何なく、二人にそうさせるつもりでいたのだったが。
「しばらく、うちの屋敷の部屋を貸してあげるわ」
「……本気か?」
 それはつまり、彼女とその身内にも危険が及ぶかもしれない、という事。 アレスの言葉の意味を察して、しかし紫苑は頷いてみせた。
「皇国の太陽たる天照に対して、御神楽は月。 天照の闇と恐怖の象徴、四神騎士団の中核を長らく占めてきた歴史は伊達ではないわ」
「あんまり関係ない気がするんだが――まあ、俺たちとしても助かるのは確かだな」
 その言葉に紫苑は頷いて、それなら交渉成立ね、とアレスの手をとった。
「こうするのが、そっちの礼儀なんでしょう?」
 屈託のないその笑顔を見て、アレスは小さく吐息すると、おざなりな調子で握り合った手を上下に振るのであった。





 かくて、アレスとアレシエルの兄妹は、しばらくの間御神楽邸に滞在する事になったのである。
 家人や蘇芳には多少の驚きをもって迎えられたが、元々、旅人への宿の提供も貴族が行うべき義務のひとつであり、紫苑が事情を説明すれば、あとはさして揉めもしなかった。
 紫苑はアレスからこれまでに立ち寄った異国の都市の話を聞くのが楽しみだったし、家人達もアレシエルをよく可愛がった。
人見知りの彼女が打ち解けるにも、そう時間はかからないだろう、と紫苑はみている。
 もっとも、あまり話好きでも話し上手でもないアレスは、面倒がっているような節もあったが――それでも紫苑の興味津々という態度と、話し終わった後の心底からの謝辞と笑顔には、悪い気はしていないようだった。
「クレドはキランからさらに南西に行ったところにある、ジャングルと砂漠の境界線にある街だ。 ヤースって名前の、幅がこの都ほどもある大河を隔てて西側がスクルズの乾燥地帯。 あのあたり一帯はスクルズで最も農業が盛んな場所のひとつらしい……ま、聞いた話だが」
「クレドっていうと、シャージャハーン朝よね?商業に対する規制も緩くて、こっちの貿易商達もよく立ち寄るっていうわね」
「そうなのか? 俺はよく知らんが。 ま、確かに……スクルズでも色んな所に行ったが、クレドと、あと……そっから奥の方だ、街道を辿った先にある……」
「奥って言い方もないでしょうに。 北って言いなさい、北。 ヤスバース、シャージャハーン朝の首都よ」
「ああそうだソコだ。 いい街だったぜ、食い物も美味いし宿もいい、おまけにいい女までついてくる」
「食事に宿はいいとして……女?」
「ああ、知らんなら知らんままの方がいい」
 そんな、紫苑の知らない世界の話も織り交ぜつつ。
 紫苑とおなじ棟の客用寝室をあてがわれ、賓客級の扱いを受けていた二人だが、食事だけは共にしない事になった。
 アレスの強い意向で、貴族の食事に舌が慣れてしまうとあとあとで困る、というのだ。
 それもまた一理ある、と紫苑も蘇芳も承服し、アレスはアレシエルを邸内に残し、自炊用の食材を求めて、『ひねもす街区』へとふたたび出かけたのだった。
 そこで滞在初日に彼が買い込んだのは、スクルズ大陸をはじめとした南方で産する十数種類の香辛料の粉末と、玉葱などの季節の野菜類、そして挽肉。
 とくに香辛料類は輸入品ということで多少値が張ったが、紫苑から食費として、「お釣りは要らないわよ」という有難い言葉と共に手渡された一枚の金子で、十分すぎるほどだった。





「こんの大馬鹿兄貴ッ!!!」
「……!?」
 御神楽邸に帰ってみれば、聞こえてきたのは屋敷中に響かんばかりの怒鳴り声。 さらに聞こえてきたのは何かを投げるような音と、したたかに肉を強打する音。
 さて何が起きたんだ、と半ばいぶかり、半ば楽しみにしながらアレスは母屋へと歩を進めてゆく。
 事が起こっているのは蘇芳の自室だった。 慌てていたり面白そうな顔で見物していたりする使用人たちの間を抜けて彼がその部屋に入ってみれば――
「おいおい……」
 そこでは頭に上った血で白い頬を紅潮させた紫苑が蘇芳を床に組み敷いて馬乗りになり、ゆらめく陽炎をまとう握り拳を振り上げていた。
「さ、落ち着きましょう、ほら、ね?」
「これがっ、落ち着いてっ、いられるかッ! なんで、そういう、私の身に関わる、大事な大事な事をっ、私の同意もっ、意見もっ、なにも無しに決めるわけぇ?!」
 息継ぎの度に拳が空を切り裂いて奔る。 それを首の動きのみで回避するという芸当を見せながら、蘇芳は必死にはとても見えない表情と、必死にはとても聞こえない暢気な口調で、妹をなだめようと――
 しているようには見えなかった。 余計に彼女の神経を逆撫でしているようにしか見えない。
「……何があったんだこりゃ」
 あまりの光景に、やや呆れ気味の口調でアレスが呟くと、それが聞こえたのか紫苑は顔を紅潮させたまま彼の方に振り向いた。
彼女が心底忌々しげな口調で、「この馬鹿がね……」と切り出そうとすれば、蘇芳が「違うでしょう紫苑、『お兄様』です」と、余計な事を言ってさらに紫苑を怒らせる。
「帰っていいか」
 そんな事が続いて、さすがにアレスにも興味も失せかけてきた頃、やっと紫苑の手が止まった。 ぜぇぜぇと荒い呼吸をしながら、ゆらりと幽鬼のように立ち上がる彼女。
 乱れた髪に、薄藍の和装のやや崩れた襟からは汗の浮く鎖骨と豊かな胸がのぞく、非常に艶っぽい姿なのだが、その白い肌と髪の間から覗く真紅の眼光の苛烈さが凄絶な雰囲気を加えている。
「……どうもね。 昨日、じゃない、一昨日だっけ? うち宛てに、二条家から書状が届いてね」
 その横に、蘇芳が相変わらずの柔和な笑みを浮かべながらいつのまにか立っていた。
「そこにはですねー、紫苑さんを、今度の週末に催される夕食会に招待したいと書いてありまして」
 不自然なまでに朗らかな声で、蘇芳。
「ほう」
「勝手に返事出してね、こいつが。 どうしても行かなくちゃいけなくなっちゃったのよ」
「いいじゃねえか、美味いもの食えるんだろ?」
 きょとんとした面持ちでアレスが問い返すと、紫苑は「それだけならまだ良いんだけどね」とかぶりを振って、
「ゆーくーゆーくーは! 私と結婚したい、なんて言いだしてンのよあの馬鹿が! ああもう、考えるだけで怖気が走るわ、あんなの」
「……蘇芳。 部外者の俺が言う事じゃないかもしれねーが、お前何考えてるんだ」
 アレスの非難がましい目にも蘇芳は表情ひとつ変えず、「だって、面白そうじゃないですか」とのたまう。 御神楽蘇芳とはつまり、こういう少し困った人間なのだった。
「なに、せっかくご招待して頂いたのですから。 美味しいものを食べるだけ食べて、丁重に断ってくればいいではありませんか?」
「それで向こうが大人しく引き下がるとも思えないけどね……わかったわかった、行くわ、行けばいいんでしょ」
 ひらひらと手を振り、もううんざりという口調で話を切ろうとする紫苑。
「で、聞いちまった俺だが、口止めとかなしで帰っていいのか?」
 入口の傍の壁に寄りかかっていたアレスが、げんなりした面持ちで腕組みしながら聞く。
「あー良いわよ別に。 みっともないとこ見せちゃったわね」
「申し訳ない、御客人に見苦しいところを。 主に紫苑さんが」
「原因作ったのは誰よッ!?」
「んじゃ、俺は部屋に戻ってるからな。 兄妹仲良くやってくれ」
 再び紫苑が蘇芳に掴みかかろうとするのを見届けて、アレスは背中を壁から離してくるりと踵を返し、気のない声で手を振りながら、後ろ手で引き戸の取っ手を引いた。
「……ふう」
 扉が完全に閉じ、足音が遠ざかってゆくのを確認すると、紫苑は大きく吐息し、がっくりと頭を垂れた。
 ……そして次に彼女が顔を上げるとき、先ほどまでの感情の嵐は霧散し、真紅の瞳には冷徹な理性の光が宿っている。
「お兄様。 貴方は」
 鋭利な眼光が蘇芳に突き刺さる。
「御神楽の人間が二条に招待を受け、夕食をともにしたという事実だけ、噂として都に流すつもりでしょう」
 紅玉の矢に射止められ、鋭い詰問を浴びせられて尚、柔和な――貼り付けたような笑顔を浮かべたまま、彼は黙して何も語らず。  それを見て、紫苑は最後の問いを発した。
「……つまり、貴方は私も駒とするつもりだという事?」
「まさか……。 貴方は不確定要素にしかなりません、方程式を破壊しかねない。 計算になど入れませんよ」
 開かれた口から出たのは、冗談めかした否定の言葉。 半月形に吊り上った瞳の奥からのぞく光と、紫苑の真紅のそれが交錯する。
「はン」
 そして紫苑の口の端に浮かぶのは、皮肉げな微笑。
「お兄様。 貴方は自分だけが頭が良いと思っていらっしゃるようで」
「ほう?」
「何もかも貴方の思惑通りにゆけばいいのだけれどね。 仮に二条が私を捕えて人質とし、自家の派閥の支持を求めてきたらどうなされるおつもり?」
 その問いに、一瞬だけ蘇芳は虚を突かれたような顔になったが――
「ふ……はは、あはははは!」
 唐突に、堰を切ったかのように笑声を爆発させた。
「な、何がおかしいのよ」
 対する紫苑はやや赤面がちに、戸惑いの表情もありありと、少しだけ上ずった声で問う。 それに対する答えは、紫苑をして黙り込んでしまうに十分なものだった。
「どうするも何も、万が一そうなったとしても貴女がそんな、人質なんていう地位に甘んじていられる性格であると、自分で思っているんですか?」
 と、目尻に涙を浮かべてまで言う蘇芳に、紫苑は一瞬「な……!」と言葉に詰まり、顔を紅くしてそっぽを向いてしまった。
 そうなのだ。
 たかが二条家の命運ごときが、皇位継承権の行方程度のものが、自身の生命の安全を媒介にして取引され、そのために自身の自由が奪われる。
 そんなことは、彼女にしてみれば許されてはならない事。
 蘇芳の言葉はまさにその通りというもので、仮に自身がそのような状況に陥ったとしても、立ち塞がる障害を全て叩きのめし捻り潰しそして焼き尽くし、自力で状況を打開するに違いない。
 御神楽紫苑とは、そういう人間なのだ。
「おやおや図星を突かれて赤面ですか。 貴女にもそんな、年頃の少女らしさがあったとは、やれ意外意外、明日は矢か槍でも降りますかね」
「……黙れ糞兄貴ッ!!」
 かすれた怒声と共に、陽炎ゆらめく拳が蘇芳に迫る――





「ったくもう……」
 自室に戻った紫苑は、書見台の前の安楽椅子に腰掛けてひとつ大きく伸びをすると、先程の兄の部屋での出来事をふと思い出し、顔を僅かに紅潮させてかぶりを振った。
 部屋の隅、舶来の柱時計が指している時刻は六時少し前。 夕食まではあと少々というところだが、暇をつぶすための何かを始めるにも少々中途半端な時間ではあった。
 どうしようか、と顎に手をあてて考えてみても、出てくるのは先程の事ばかり。
「……ん?」
 形のよい鼻梁が、ひくひくと動く。 漂ってくる香りは、ひねもす街区によく出掛ける彼女にとっては馴染み深い、南方産の香辛料のもの。
 馴染みとはいえ、素材の味を活かすことを至上の命題とする応神の調理師達が腕を振るう、この御神楽家の夕餉の時間にそれらが使用されることは稀だ。
 なら、この香りの出所はどこかしら――と、紫苑は襖を開けて、外の様子を伺ってみた。
 中庭を見渡す廊下に出ると、その回答がはっきりした。
「アレス?」
「厨房を使わせて貰おうと思ったんだが、こいつの匂いがキツいって追い出されてなぁ」
 そう言う赤毛の青年の背後には、湯気を立ち上らせる真鍮の鍋がある。 それが下に敷いている竈の石も、兄妹が椅子代わりにしている石も、全てどこかで見たような形をしていた。
「ちょっと、それ、うちの庭石!」
「騒ぐな騒ぐな、なんだお前も食いたいのか」
 アレスがそう茶化すように言うと、鍋の向こう側に座っていたアレシエルがぱっと顔を上げ、瞳を輝かせて紫苑をじっと見てくる。 紫苑はもはや怒るに怒れず、はぁ、と嘆息して両手を挙げてしまった。
 全面降伏だった。 肩をすくめ、かぶりを振りながら元は庭石だった椅子に腰を下ろす紫苑。 ひんやりとした感覚が着物の布地越しに伝わってきて、彼女は一瞬身震いした。
「で、これ何?」
 紫苑が指差す先には、鍋のなかで煮え立つ、どろどろとした茶褐色の流動体があった。 中には挽肉や細かく刻んだ野菜類が見え、香りは何種類もの香辛料のものが混ざり合ったと思しき複雑なもの。
 世界中から商品が流入し、様々な人々が行き交う「ひねもす街区」で紫苑はこれと似た料理を見たことがあったが、名までは知らなかった。
「この間話したクレドで教えて貰った料理でな。 調合したスパイスを香り付けに使って、炒めた小麦粉と肉やら野菜やら、その場にあるもんを煮込む」
 鍋をかき混ぜながら、アレス。 その横には、鍋の中の液体と同じ色をした粉末が入った瓶がある。
「こいつが便利なんだ。 味も香りも濃いから、振りかけて焼くなり混ぜて煮るなりすれば大概のもんは食えるようになる。 ちょうど残り少なくなっちまったから、ここで補充できて助かった」
「ふぅん……」
 様々な野菜と挽肉の、そして多種多様な香辛料。 それらが溶け合い、混ざり合った味を紫苑は想像する事ができなかった。
 それからしばらく彼女は鍋のそばに座りこんでアレシエルと話していたが、鍋をかき混ぜたりかまどの火を調節したりと忙しそうにしていたアレスが顔を上げ、紫苑を呼んだ。
「何?」
「お姫さんのお前にこんな事を頼むのもあれだがな。 厨房から米を三人分貰ってきてくれるか?炊いてある奴な、生でも別に構わんが」
「ええ」
 それからしばらくして、厨房の方角から怒声に続いて何か爆発音めいたものが聞こえてきたが、アレスは聞かなかった事にした。
「あーもう」
 やれやれ、といった表情で戻ってきた紫苑は、米びつをひとつ抱えている。 大儀そうにそれを置くと、紫苑は再び庭石の椅子に腰を下ろして、満天の星空を見上げた。
 この、何処までも続く空の下に広がる大地。 生きているうちに、自分は一体、そのうちのどれだけを目にし、歩く事ができるのだろうか――。
 目を閉じて想いを馳せていると、アレスに肩を叩かれた。 彼が下を指さす先を見てみれば、そこには湯気を立てる皿があり、紫苑が持ってきた白飯に、先ほどまで鍋の中で煮込まれていたものがかかっている。
「餡かけ炒飯なら食べた事があるけど……。 これも匙で?」
「本場じゃ手掴みらしいがな。 ま、これでも使え」
 アレスが紫苑に手渡したのは、手製と思しき木製のスプーン。
「ありがと・・・でも、あなたのは?」
「俺は本場の食べ方でやってみるさ」
 そう言うと、アレスは皿の上のものを手で掴んで食べ始めた。 その横でアレシエルは、片手に皿、もう片方に匙を持って夢中で料理を口に運んでいる。
 紫苑はしばらくその光景と、自分の皿と木匙とを見比べていたが、やがて彼女は木匙を置き、皿の上のそれを手で掴んだ。
「おい」
 アレスが目を丸くするが、紫苑は平然としている。
「いいの、私がやりたくてやってるんだから」
 そう言うと、紫苑は澄ました姿勢で料理を口に運んで、しばらく口を動かしていたが――突然、ごほごほと激しく咳き込んだ。
 喉を押さえ、銀糸のような髪を振り乱して、まるで重病人のようなありさまに、さすがにアレスも心配になったようだ。
「大丈夫か?」
 アレスが背中をさすってやると、ようやく落ち着いた紫苑は顔を上げ、目に涙を浮かべて苦笑した。

「これ……すっごい辛いのね」


 零紀元、二九九八年三月五日。 皇国は、未だ表向きは平穏の内にあったのだった――。



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