「メレリル〜!!いつもの持ってきてよ〜」 赤い顔をした、女たちが女主人を呼びつける。 声をかけた女は空になったグラスを高々とメレリルに見せていた。 「わかったわ。でも少し飲み過ぎじゃないの〜? 明日、ナトール帰ってくるんでしょ?」 「いいのよ、あんな馬鹿亭主っ。 いっつもわたしの事ほっておいて、やれ鉱石だ、やれ幻の薬だっていって 勝手にふらって出て行っちゃうんだもの。 ここで、海女をやってる自分が馬鹿らしくなるわ〜」 彼女は自嘲しつつも、それでも心の底には主人が帰ってくると言う安堵があることは 周りの者にもわかっていた。 「わかったわ、あと一杯だけだしてあげるから、そしたらちゃんと家に帰るのよ。 あんた達も、ちゃんと家まで見届けてやってよね?」 女たち特有の笑い声。場が明るくなる。
そんな独特の優しさに包まれたなか、男の前には一皿のスープが出された。 メレリルの優しい無言の笑み。 真紅の汁に包まれた沢山の海産物。男は恐る恐るスプーンですくい、口へと運んだ。 口からのどへ、そして胃まで暖かさがすぅっと流れていった。 一瞬の間を置いて、一口、もう一口と男はスープを食べた。 そして、スプーンを置き、メレリルの顔を見る。 「どう?おいしい?」 ふっと男は口の端で笑った。 「あぁ、ちゃんと料金を払いたいと思ったよ」 「よかった」 「じゃぁ、あんたが勧めるその地酒とやらを出してくれるか?」 「わかったわ。飲みすぎないでね、口当たりは良いけどきついお酒よ」 「そうなのか。残念だな、俺は酒には飲まれないタイプだからな」 「そう、じゃあ割らずにストレートで出してあげるわ」 口の大きなグラスに大きな氷と琥珀色の液体が半分ほど入って出てきた。 「美味いな」 「当たり前よ、ここは”幸福の食卓”なんですもの」 そうして”幸福の食卓”のいつもの様な夜は更けていった。
ひとり、そしてひとりとそれぞれの家や宿に戻って行く。 最後に残ったのはカウンターの男であった。 さすがに豪語するだけはあり、酒には飲まれていないようだった。 ただ、悲しみの空気が彼の周りを包んでいた。 メレリルは静かにドアの外の札を裏返し「準備中」とし、扉の外のランプを消した。 テーブルの上に残された、食べ終わった皿やグラスを器用に運び、 ゆったりと、かつ的確に片付けていく。 メレリルがシンクを布巾で拭き終り、全ての片付けが終わったとき、 男の4杯目のグラスも空になった。 「まだお飲みになられるの?酔ってはいないようだけど、もう夜も遅いわ」 「すまんが・・・一緒に飲んでくれないか?」 男はうつむいたまま一言いった。 「ふふ。分かったわ」 彼女は彼のグラスに酒を注ぎ足し、そして自分のグラスを用意した。 琥珀色の液体がさらさらと注がれていく。 彼女は自分のグラスに氷とレモン汁を足した。 「少しね、酸味があるほうが好きなの」 そういって、彼女は男の隣に座った。 そして、暫く黙ったまま二人は、その時間を過ごしていた。
どれくらい黙って居ただろう。 彼が口を開いた。 「俺はカリシノゲナーゼの北部、シンシアの森からやってきた」 シンシアの森と言えば、針葉樹の生い茂る遠くの場所、 3大陸の中でも最も北部に位置する場所だ。 メレリルは改めて、彼を見た。 目の奥には深い悲しみと憂いを抱いた、闇が見えた。 灰色の瞳は何を捉えてきたのだろう。 短髪の髪に北国特有の白い肌、南国で育ったメレリルはその白い肌に憧れすら抱いた。 透明の白い肌。 触れたら壊れてしまいそうなその白さとは裏腹に、彼の顔つきは とても険しく近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。 聞いてはいけない事がこの人には多くありすぎる、メレリルはそう思った。 わたしはこの人が言うまで決して問わない。 そう心に誓った。 「妖艶の華を探している」 彼は言い切った。 「え・・・妖艶の華・・・」 青く光るその華は珍重され、万能薬として世には多く知られていた。 ただ、それを見た物は居ない。正確に言うと、妖艶の華自体を持ち帰ったものは居ない。 その力故に触れた者の生命を奪うと言われている。 妖艶の華と融合した、その”華の魂”を砕くことで薬となる。 巷で出回っている”華の魂”は多くはレプリカであり、本物に出会うことは 本当に皆無といっても良い。 ただ、その力だけが一人歩きをし、多くの求道者が全ての財を投げ打って、 効きもしない偽物の”華の魂”にすがる気持ちで想いをかけているという話も 多く出回っている。 「もちろん、実物を・・・だ」 「そう・・・。でも、わたしもここで捜し求めている人達を見てきたわ。 探し出してきたものは全て偽物だった。それでも、彼らは喜んでいたわ、 『これで大切な人を救える』ってね」 「いや・・・」 彼は一呼吸置き、そして小さな声で、しかし意思を強く持った口調でいい放った。 「妖艶の華そのものを見つけ出す。レプリカが出回っていることなど俺だって分かっている。 これでも祖国では腕の立つ剣士だ。”怨念の野原”に行ってもどうにかなるだろう」 彼がそれほどまでにして救いたい者。その強い想いは何処に向けられているのだろう? 「愛する人を救いたい、それだけだ」 深いため息を吐いた。 「先の5年戦争の話はこの地方にも伝わっているのか?」 「えぇ、港町ですもの。沢山の話が舞い込んでくるわ。本当の話も、嘘の話も。 ヒダントール帝の独裁政権が強くなったと言うのは良く聞いているわよ」 「俺の名はセルシン。その時の反乱軍の隊長でもあった」 「そう・・・」 「知らなかったんだ、彼女が・・・」 言葉に詰まる。 重い時間が流れる。
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