手の院、院長アプルルは立て付けの悪い木製のドアが開く音を聞いた。金属の軋む音、感覚的に悪いと思える音。最近になってあまりにも良く響くのでカーディアンの育成には悪いのではないかとさえアプルルは思い始めていた。 そんな退屈で当たり前の悩みを抱えたアプルルの前に、ウィンダスで、いや、世界で一番退屈とは無縁な男が現れた。 茶色の亜麻布を主体とし首元の金属製のプレートが上品な衣装、ガンビスンを纏った、長身、シルバーブロンドのエルヴァーン。背中にはラプトル地のマント、頭にはチョコボの羽の生えたベレー帽を被っている。腰には護身用か、一本の大振りのナイフが吊されていた。 アルフリートだ。 彼の足下には青い髪の小さななタルタルの男の子と金髪の男の子がいる(タルタルの男女差はカラスと同じくらい見分けにくい)。アルフリートはきょろきょろと物珍しそうに辺りを見回すタルタル達に落ち着くように言うと(もちろんそこで一悶着あったが省かせて貰おう)彼らは突然の訪問に対する非礼を詫びると手にした麻の袋を木製の机の上に置いた。 「シナモンクッキーを焼いた、突然で悪いがティーブレイクといかないか?院長殿」 断る理由はない、基本的にカーディアンへの授業以外さしてやることのない手の院は気楽なものだった。 アプルルはアルフリートとタルタルの男の子に切り株の椅子を勧めると近くにいたカーディアンにお茶を持ってくるように言った。 タルタルサイズの椅子と机はエルヴァーンのアルフリートには小さくて端から見ると少しおかしかったが、不思議と彼自身は落ち着いている。このエルヴァーンは異文化という物を平然と受け入れられるのだ、呑気というか鈍感というかそう言うもので受け止めている。全く物怖じしない。だから、この光景が自然と絵になる。 知識に対する見識の狭い者の多いエルヴァーンにしてはおかしな才能と言えよう。 シナモンクッキーとお茶は美味しかった。それらを堪能するべき静寂が三人の間にしばし流れた。 アプルルは素直にクッキーの味を頭の中で反芻させてゆっくりと食べ、お茶の匂いを幾度となく嗅ぐ。 アルフリートは自分のセオリーに従って同じ食べ方を繰り返してはその結果を自らの手記に書き連ねていた。その様子はまるで実験を行う研究員のように乱れがなかった。 タルタルの男の子達は、「美味しい!」だの「ウメー!」だのを言いながら口いっぱいに頬張り、金髪の男の子がお菓子を全部独り占めしようとして青い髪の男の子と喧嘩していた。 クッキーも残り少なくなり、お茶も冷め始めた頃。アプルルがどことなく口を開いた。「珍しいですわね、貴方がこういうことをするなんて」 アルフリートは泰然としてその言葉を受け止める。 「今まで忙しかったからな、時間が無かっただけだ」 「貴方はいつも同じ場所に一刻といませんでしたから、・・・・・・でも不思議と退屈だけはしない人ですわ、貴方は」 アルフリートは素直に言った。 「ありがとう」 「皮肉ですのよ、今の」 「それは気付かなかったな」 二人は声を上げて笑った。まだ生まれたばかりのカーディアンの一体が、その笑い声を真似した。 それを聞いて、今度はみんなで笑った。 「紹介が遅れたな」 アルフリートはタルタルの男の子達を促した。 「ピーチェです、よろしくお願いします」 「ウルだ、よろしくよぅ!」 「アプルルと言います、よろしくね、ピーチェリー、ウル」 ふとアプルルは何かを思いついた。その思いつきに少し寂しい表情を浮かべたあと、アルフリートに答えを得るべく問いただす。 「始めてしまう、というわけですか?」 「そういうことだ」 アルフリートは茶を一気に飲み干した。 「今日は前からしていた茶の約束を果たしたい、と思ってな」 「貴方がいると何かと楽しかったのですが、残念です」 アプルルは、本当に残念です、という言葉も舌の上に乗せた。その言葉に対して、アルフリートの表情に動きは無い。悲しみも名残惜しさも、全て身体の奥に押し込み、耐えているのかもしれない。 その自分を思い留まらせる感情を全て断ち切るかのように、その巨躯が立ち上がった。タルタルよりもずっと大きいエルヴァーンの巨躯は立っているだけで有無を言わせぬ迫力がある。 彼は言った。 「行ってくる」 そして、出口へと足を運ぶ。 ピーチェとウルがアルフリートについていくために立ち上がった。ピーチェはアプルルにお辞儀をして、ウルは手を振ってお礼を言った。 二人の行動をアプルルは笑顔で受け止めた。だが、すぐにその笑顔が曇る。 「帰ってくる気はありますか?」 その言葉でアルフリートの足が止まる。足が少しためらう。だが、そのためらいを切るように言葉を放つ。 「約束は出来ないな。だが、私は帰ってくるだろう」 その言葉の後を締めくくるように、あの立て付けの悪い扉の軋む音が聞こえた。
それが一人のエルヴァーンの怪盗の伝説の始まりだった。 犠牲が必要である「何か」を為すために決意を込めた眼差しと共にそれは始まった。
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