ここは、武田信玄が治める甲斐の国である。 ある一人の男が街道を歩いていた。 その姿は旅支度をした町人風で、どこから見ても やはりただの旅人にしか見えない。
が、どこか鋭い眼光と、猫の様に素早い足取りと その身のこなしは、彼がただ者ではない確かな証 であった。 もっとも、誰かとすれ違う時にはその全てはすぐ にゆるめられ、再び人の気配が無くなると、また 元に戻されるのであった。
彼は今、彼の所属する集団のお頭から密命を帯びて 同盟勢力へ向かう最中であった。 その道中、自国の領地の中で無駄だと知りつつも、 忍者という特殊な存在の習慣で、周囲への警戒を 怠らず街道を進んでいた。 自分と同じ忍びの世界に身を置く者は、どこに潜ん でいるか解らない、例え自国の領地内と言え、それ は同じであった。 なぜなら、もうじき自分もそうなるからである。 そろそろ彼は国堺へ差し掛かる。そこを越えたら もう他国である。 よそ者の自分には、例え同盟国と言えども他人の 目は厳しい。 それに、それはどこでも言える事なのだが、広い 領内に居るのは、自分と同じ国の者や同盟国・ 友好国の者だけとは限らないのである。 自分と同じ様に、密命を帯びた敵対勢力の者が忍 んでいる可能性も十分にある。 それらは、同盟国同士のつながりを邪魔しようと して、その使者を狙ってくる可能性も十分にある のだ
さて、関所まであともう少しという所で、彼は いきなり道をそれると脇道へ入った。 獣道に近いが、少なからず人が通行している形跡 があり、それが関所を避ける抜け道である事を 示していた。
変装しているとは言え、彼は密命を帯びた忍びで あり、堂々と関所を通る訳にはいかないのである。 ある意味、それは当然の選択と言えた。
彼は、動きやすい様に変装を解くと、まるで風の ごとき速さで走り始めた。 忍者である彼は、一時的ではあるが速く走れる術を 会得しているのである。 抜け道と言うのは、事情があってまともに関所を 抜けられない者が通ると、大体は相場が決まって いる。 こんな物騒な場所は、例え彼の様な手練(てだれ) の忍者でも、さっさと通り抜けたいものである。
だが、国堺を越えた辺りから、彼は自分以外の者の 気配を感じていた。 それも、忍者の自分と同等の速度を保ったまま、 つかず離れずの間隔を取っている。 その数も、1つや2つではない。少なくとも3〜4 つ、多く見積もって6〜7体程の影が、彼の後方 をぴったりとついて来る。
(どうも、このまますんなりと行けそうにないで ござるな・・・。)
彼は、走りながら相手の出方を伺(うかが)って いた。
後編へ続く。
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