パイオニア2はそれ自体が一個の巨大な都市だと言ってもいい。しっかりとした通信設備、電力供給、上下水道、空調施設を持ち、交通・治安・福祉の面もしっかりと整えられている。 そして、パイオニア2の住民には仕事が与えられる。人類滅亡の危機的状況下の現在において人類に安息は無い。そして、仕事は人間を選ぶ。 偉大な舞台にて役を与えられる役者には、それ相応の能力が必要だ。 パイオニア2研究区画の天井の空調整備用のキャットウォークにて男は自分にしか出来ない仕事をしている最中だった。 眼下は100mのビルディングしかない空間、それとて60mほどしかなく、残り40mは何も無い空間が続く。ハッキリ言って専門の職業の人間でもない限り、腰が引けてしまうような風景だ。キャットウォークは隙間が多く、下の様子が容赦無く見える。怖い事この上ない。さらにキャットウォークは対流現象で発生した烈風によって常に揺らされており、酔狂人でもない限りこんなとこには来ないような代物になっていた。 もっとも、それも男にとっては都合の良い材料でしかない。 光学迷彩をかけているため、男の顔はわからない。それどころか水にでも入らない限り、男の存在は気取られることは無いだろう。身体の雰囲気から男だということがわかるくらいだ。 男は何も無い空間に向かって言葉を紡ぐ。 「R1、ポイント47に到達だ」 男の声には返答がある、彼は装備していたマイク付ヘッドフォンに話していたのだ。 「Rリーダーから全隊員へ、ハッキング開始、外部警備システム掌握まであと20秒」 男のヘッドフォンから聞こえた声は、女性だ。だが、抑揚が一切無いアンドロイドの声だ。 「システム掌握の制限時間は10秒です。作戦開始まであと10秒、カウントダウンスタート」 今度はヒューマンの女性の声だ。人間だけに声色に緊張がある。男は返答した。 「R1、わかった」 「R2、了解」 「R3、わかりました」 男の他に別の場所にいる仲間と声がハモる。誰も物言わぬ静寂にカウントダウンするヒューマンの女性の声が響く。 「3、2、1、GO!」 男はGOサインと同時にキャットウォークの手摺にワイヤーを引っ掛けた。さらに、男は手摺に手をかけると躊躇いも見せずに下の100mの何も無い空間に飛びこみを敢行した。男の身体が自由落下に従って宙を舞う。「9、8、7」とカウントダウンは続く。 しかし、男の目の輝きから恐れなぞ一切見えず、ただ一点にその輝きは着地地点を指す。狙いはビルディングの屋上だ。 あと10m! 男はワイヤーをつかんで急制動をかける。男の身体は見事に地面の手前で止まった。衝撃で光学迷彩が壊れ、プラズマが男の周りを流れて黒いポンチョをかぶった男が現れる。 「4、3」 カウントダウンだけが無常に続く。男は無線式のウィンチを作動させてワイヤーを素早く回収させると、監視カメラの死角に飛びこんだ。壁に背をついて必死で監視カメラから逃れる。 「2、1、0」 警備に一切動きは無い。どうやら相手に発見されなかったらしい。 無事に潜入を果たしたことにより、男は安堵の深い息を吐きながらポンチョを脱いだ。 その中から現れたのは黒髪に黒い瞳に少したれた双眸、剣士として鍛え上げられた肉体は余分な物をつけていない。しかし、その表情は少年のように元気で遊びたいようであり、好奇心溢れた表情だ。彼の名はラウド・エルネイン、タークスに所属する中でも指折りの戦闘力を持つハンターだった。 「R1よりRリーダーへ、光学迷彩がイカレた。星の果て程高い金払ったっていうのにどうしてこういうのは壊れやすいんだ」 「RリーダーよりR1へ、しかたないです。しかし、今回の貴方の任務はあくまで陽動、もし見つかってもその時はその時です」 「サラ、おまえ俺の事なんだと思ってる・・・?」 「頑丈過ぎる我らがラウドですわ、たぶんドラゴンが踏んでも壊れませんわ」 「ヘイゼル・・・」 「無駄口叩いてる余裕は無いですわ、アルフとルーンがお待ちです。チャッチャッと済ませましょう」 「わかった、まかせとけ」 ラウドはこれから起こる戦いに獰猛な笑みを浮かべ、ビルディングの中へと消えて行った。
状況を説明せねばなるまい。今回のラウド達の非合法な潜入任務にはこんな事情があった。 あるハンターズがパイオニア1によって開発された鉱山―通称「坑道」―のとある端末から非常に物騒なデータを発見した。 ディメニアンに代表されるダーク・エネミーのクローン作成法データである。 これにより人間の手で専門の施設さえあればダーク・エネミーを作ることが可能になる。少なくともパイオニア1の軍隊を全滅させた前科を持つダーク・エネミーだ。戦闘力は異常に高い。そんなもののクローン製造データなど軍事バランスを崩して余計な火種を巻くだけのものである。 この情報はタークスの情報部により、ハンターズギルドよりも早く手に入った。これもタークスがエリートぞろいだという事実に相違ない。タークスの幹部らは会議にて即決した。 データの即時破棄である。そのためならいかなる方法でも取る覚悟はすでにできていた。 さらにそのハンターズは坑道のコンピューターが張った一つの『間抜け魂』に引っかかった。そのコンピューターがどのような役目を持ってたか、真実はわからない。 『間抜け魂』の発生させた状況を言おう。 ディメニアン等、ダーク・エネミーの繁殖である。 そして、繁殖したディメニアン達は地上まで出てきた。それがアルフリートが接触したディメニアンだ。 タークスの情報部は至急データの行方を追った。ハンターズは『カタクライシス』という会社に持ち込まれており、その会社は大企業で当然のことに堅い警備が敷かれていた。 我こそはと自分の腕に自信を持つタークスのメンバーが立候補したが、タークス総帥サムスが指名したのはラウドであった。戦闘能力において彼は超一流の腕を持っている。そして、彼は不思議なことに、仲間に好かれる特殊な人望があった。そう遠くないうちにラウドを一部隊の隊長にしても良いのではないか?そう思わせる何かが彼にはあったのだ。 ラグオルから戻ってきたアルフリートもラウドに合流し、ラウドはこの潜入任務に望んだのだ。
アルフリートはやっとの思いでおそろしく臭い下水から這い出た。化学薬品が混ざり合った下水の刺激臭は死人でも起きるかもしれない。そう思うほど下水はきつかったのだ。 アルフリート達の潜入任務の内容はこうだ。この建物のデータバンクは地下にあり警備員がわんさかと待ち構えている警備室は三階にある。ラウド達が取った方法はきわめて警備が薄くなる深夜に三階の警備室を催眠ガスでラウドが眠らせ、その間に地下からアルフリートとルーンが地下を調べてデータバンクを確認し、不法進入の証拠ごとデータを爆薬で吹っ飛ばす。その後ハンターズギルド経由で逃走を図れば、管轄の違う軍警察は捜しきれまいと踏んだのである。そういう計画なのだが、下水がこんなに臭いとは思わなかった。アルフリートは思った。 「ルーン」 アルフリートは思ったことをすぐ口にするタイプだ、少なくとも隠し事は苦手だ。 「ハイ」 「貴様は下水がこんなに臭いとは知っていたか?」 「ええ、まあそれぐらいは」 「何で私に教えてくれなかったのだ?」 言葉に非難の色を塗るアルフリート。 「命に別状は無いですから」 サラリと言うルーン。アルフリートは視線に焼き殺さんばかりに熱を込めた。 「すでにラウドが警備を黙らせているはずです。急ぎましょう」 アルフリートも黙って従う。これでも仕事には真面目な方だ。すぐに音も無く、二人は動く。まるで空気の様に二人は存在を示さない。 慎重にドアを開け、データバンクがある部屋を鏡を差し込んで中を見る。 暗闇だ。誰もいないと確認すると、二人は進入を果たす。 アルフリートが背中から爆薬を取り出す。タイマーから下手に手を出せば即起爆のダミーが色々と付いた地下一角を平気で吹っ飛ばす威力がある高性能爆薬。周りに人がいない深夜に決行したのはなるたけ他人を巻き込みたくないためだ。 タイマーをセット、十分後に爆発する。他にもその前に手動で遠隔操作するのも可能だ。 そのとき、不意に明かりがついた。データ保存用のスーパーコンピューター達がいくつもの影を落とす。 「動くな」 低く二人にしか聞こえないように恫喝は行われた。 「月並だな、工夫がほしい」 率直な感想を言うアルフリート。それにルーンはただ頷く。 部屋の入り口で二人の男がルーンとアルフリートにハンドガンを突き付けていたのだ。姿はどう見ても警備員ではない。まるでついさっきまでどこかに隠れていたかのようだ。 「黙れ、武器を足元に落として二歩下がれ」 男は必要なことしか言わない。緊張の音はあくまで静かに当事者達の間にしか流れない。 「分かった、分かった、そう凄むな」 アルフリートとルーンは言われた通りに足元に炎杖「アグニ」とデュランダルを置いた。 そして、ゆっくりと二歩下がる。 男は思った、怪しい。こいつらなんでこんなに余裕があるのかと。 「両手を頭の上に上げろ、余計な事は言うな」 ルーンはすぐに指示に従った。あまりにもすぐなんで男は対応できなかったのだ。 ルーンの手に何が握られているのか。 無視出来ないような大きな爆音。 床を襲う小さな衝撃。 明かりが消えた。 さっきとまるで逆の状況だ、うろたえるのは男達でアルフリート達が優位に立ったのだ。 男達は今まで二人がいた場所にハンドガンを撃った。しかし、フォトン弾はただ空間に光跡を残す。アルフリートは身を低くして、ルーンは横に飛んだのだ。 アルフリートから音が出た。何か大き目の金属を蹴る音。 衝突音! 男はアルフリートが自分の片方の射撃を封じるためにデュランダルを蹴っ飛ばしてきたのを今理解した。しかも自分達はハンドガンの射撃を行ったせいで位置がバレている、ヤバイ、と男達は思った。 ルーンが詠唱を開始する。 「私の周りにある20のナノマシンよ、氷の御手もて応えよ!」 自分の周りにあるナノマシンを意思で制御して様々な現象を起こす『テクニック』、その中でも中位に存在する冷気のテクニック、ギバータが発動した。 急激に冷やされた事により、金属の高い悲鳴が上がる。 冷気の直撃を喰らった片方は全身が凍りつき、もう片方は右手だけしか喰らわなかったせいか凍傷で済んだ。 逃げねば、男は悲鳴を出さずに逃走する。ハンターズである自分は悲鳴など出さない、それが男の最後の意地であった。逃走して生き延びるのだ、と。 しかし、この二人を敵に回したのが男の不幸だと言わざるを得ない。 アルフリートは男の体から反射したデュランダルを左手にとった。逃げようと背中を向けた男をアルフリートは静かに、冷めた目で心臓へとデュランダルを突き立てた。
ルーンは手の中にあった物を捨てた。 乾いた金属音、暗闇は視覚でなく聴覚でものを訴える。 それは爆弾の遠隔起爆装置だった。もしもの時の為にビルの電源に仕掛けていたものだ。それは暗闇で相手の不意を作り出すのに役に立った。 「あなたには黙秘権がありません。洗いざらい吐けばとりあえず命は助かります。信用度はないですが判断するのはあなたの勝手です。そして、後8分で爆弾が起爆します。したがって時間稼ぎも無用なんでできればしないで下さい。もっともあなたか自殺願望者だというなら止めはしないのですが、その場合今あなたを羽交い締めにしているお兄さんに死んだほうがましだという事をされますんでご了承を、そういうわけでとっとと喋ってください」 「おまえな・・・」 ルーンの滑舌と会話の内容に顔を歪めるアルフリート。 場所は変わらずデータバンクの部屋、凍りつけ状態から開放された男を拘束し、ただいま尋問中である。 「爆弾起爆しちゃいますから口論してる暇がありません。で、洗いざらい喋ってもらえますか?」 普段のルーンはもっと口数が少ない、どこからこんなに出るんだろう、となかば呆れるアルフリート。 これは功を奏し、男は極めて順調にいろいろ吐いてくれた。 データ強奪時のメンバー、ここに何人来ているか、装備はどれくらいか、自分の後ろ盾は「コレコレ(アルフリートとルーンは聞いたことがない、こいつらが雇われただけの犯罪者予備軍だという事は分かった)」だぞ、 黒幕の名前。 これにアルフリートは反応した。 知っている名前だからだ。あんまり会いたくない名前リストに載っているほうで。 そうだとしたらラウドがこの件に関するのは危ないかもしれない、とアルフリートは思った。 アルフリートとラウドが二人だけで受けた依頼で敵対した相手だからだ。 「今の聞いたか?Rリーダー」 「録音は終了いたしております」 「脱出ですわ、R1、R2、R3」 ヘイゼルが命令を下し、アルフリートとルーンは脱出の準備を始めた。 しかし、アルフリートの不安はこの任務が終わるまで消えなかった。
警備室。 ラウドは脱出の指示を聞き、部屋を移動しようとした。 脱出といっても簡単で6階の警備室から3階に見つからないように降りて、そこの窓から飛び降りるだけだ。 ラウドの能力なら非常に簡単である。 警備員が呑気にグーグー、眠る中をラウドは出口に向かって足音を忍ばせて歩き始めた。 そのラウドの前に一つの影が現れた。 「久しぶりじゃねーか、ラーウド」 一番聞きたくない声だった。殺してやりたいと思ったぐらいだ。それから殺してやったのだから二度と聞かないはずだった。 「ジャン・ベウトー・・・」 「アータリー」 軽口を叩いて影は人になった。それは短い黒髪に中肉中背の男だった。男の肉体は絞られたかのように細い。それはまるでスポーツカーの様に無駄な物をなくした筋肉である。 そして
、野獣的な表情に左目の刀傷、細いはずの身体が太く見えるのはこの男の「悪」のか貫禄のせいか? 「やったはずだぜ」 「おかげさまでな、おかげでナノマシンでも残る傷跡がついたぜ」 ベウトーの口は軽い、その軽さがラウドの神経を嫌らしくくすぐる。 ベウトーは左目の刀傷をいとおしく撫でながら、 「だが、そのおかげでこちらは始終お前の事が忘れられねえ、まるで恋する乙女だぜ」 ラウドは無表情で言った。 「悪いが時間が無いんでな」 そして、腰に差してあった武器を抜いた。このフォトン兵器
全盛の世でも、それに勝る鉄の名刀、アギトだ。それを中段に構え、虎すら逃げ出しかねない眼力でベウトーを睨む。 「道を開けてもらおう」 「そうがっつくなよ、まだ前菜なんだぜ、ラーウド」 一瞬の金属音。 カキンッ、 湧き上がる銃声!
ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ!
ラウドは一瞬の金属音でそれが銃のセーフティをはずした音だと理解。 すぐさま横に飛ぶ、光弾の範囲はそれを上回り、数発がラウドに襲いかかる! 関係無いとばかりにラウドは左腕を振る。 フォトンのシールドは楽々とその数発すら弾き、ラウドに命中弾は無い。そのまま机の影に身を躍らせ、遮蔽を取る。しかし、それすらラウドから奪おうと光弾は机を削り始める。 「ストーップ!」 無かったかのように止む銃声。 「追われる立場はどうだい、ラーウド」 馴れ馴れしい、と心の中でラウドは叫び、装備を点検。その間もベウトーは話し続ける。 「安心しな、おまえの右手は俺がいろいろ『使って』からおまえの婚約者に渡してやるよ」 変態が、と思いながら目的の物を見つける。 実は一見絶望的な状況だが、突破口はある。 相当乱暴な手だ。麻雀で振り込み、相手がロンと言う前に卓をひっくり返してなかった事にさせるぐらい乱暴な手だ。 「だから俺が殺してやるよ」 いきなり自分のすぐ上から聞こえるベウトーの声。 正確には頭のちょっと後ろ。 ベウトーがいつのまにか近づいていた。 ベウトーは右手を振る。その手にはブラッディアートが握られている。机ごとラウドがいた空間に一閃。たまらずラウドは机から引きずり出された。 即座に始まる一斉射撃。 ラウドは無茶な脱出案実行を決意。右手が動き、何かを放る
、それはラウドを銃撃する男達とそれが挟むように飛び、ラウドの体で銃撃する男達には何が飛んでいるか隠されている。 ラウドの疾走する先は壁。 さらに射撃の嵐の中をベウトーは何の躊躇も無く飛びこんでくる。ラウドに一撃を食らわす為だ。 ベウトーの体とラウドの体が一メートルと離れてない位置にきた時、ベウトーは気づいた。ラウドの体の少し後ろに飛んでいるもの。 それは高性能爆弾だった。 そして、ラウドの右手はアギトではなくブレイパスを握っていた。 「ダブルクラッシュと行こうか」 一撃! ラウドの体はなにか巨大な者に抱擁されたような感触を得た後、猛烈な何かに殴られた。 『巨大なもの』は爆弾の衝撃で、『猛烈な何か』は衝撃で飛ばされて当った壁だ。 要するにこの作戦は爆弾をラウドの後ろで爆発させ、銃撃から逃げ切ると同時に体当たりで壁に穴を開け、外に脱出するというものだ。 銃撃にやられることは避けられる作戦だが、壁にぶち当たったのはかなり痛かった。左肩にもう感触はない。 空中に放り出された、ここは6階。万歳した格好で落ちているラウド。少なくともこの状態で落ちれば即死は免れない。そうでなくともこのままいけば空中で隣のビルに衝突する。 しかし、ラウドはあきらめない。生命力と生きる意思の強さがハンターズには不可欠なのだ。 「ヴィジョンーーーー!」 恋人の名前を叫び、アギトを隣のビルの壁に突き立てた。 アギトのおかげで見事に体は減速。しかし、途中でアギトは壁からすっぽ抜け、ラウドの体は自由落下の法則に従った。本日二度目のダイブ。 ただし、命綱は無い。 しかし、ラウドはアルフリートの次に強運だ。空中にあった電線を掴む。それも切れたが何とか減速。全身をしこたま地面に叩き付けた。とんでもない痛覚がラウドを襲う。しかし、痛いという事は生きているという事だ。かくしてラウドは九死に一生を得る。生への渇望が生んだ結果とも言える。 しかし、喜んでもいられない、いつベウトーがやってくるかわからない。速やかにここから離れる必要があった。 ラウドは立ち上がろうとする、しかし、意識がもうはっきりとしない。 薄まっていく意識の中、ラウドが最後に聞いたのは足音のように金属が連続で鳴らされる音だった。
研究施設のビルは高い。 それが落とす闇もまた大きく、裏路地はまるで宇宙空間のように静寂と暗闇でひっそりと存在していた。 しかし必要とあらば物語の語り手は弦を引く。 衝突音と風切り音と共に落ちてきた重傷のラウドを救う役者は存在する。
倒れたラウドに近づいてくるのは金属がアスファルトを一定の間隔で叩いている金属音だ。 音だけである。 姿は一切見えない。 音はラウドの近くで止まり、静寂に取って代わる。ラウドの首筋で小さなへこみが見えた。沈黙は言った。 「呆れたタフガイですな。まだ生きてます」 少年のような合成音。ただし、それは執事のような丁寧で慇懃な口調のおかげでそれらしさはない。 「R4よりRリーダーへ。R1を確認。自力で帰れそうにありませんな」 「RリーダーよりR1へ。指示は変わりませんわ。R1を『連れて』ポイントGへ移動です」 「・・・承知しました」 ヘッドセットの通信機からのヘイゼルの声に沈黙は肩をおとした口調で言った。 ボタンを押したような軽い金属音、プラズマが空間を彩り、白く逞しい金属の体が姿を現した。 安定した射撃を重視したゴツイ機体。アンドロイドの中でも銃を扱うことに特化した機体、レイキャストだ。 彼の名はJ.J。ハンターズである。 J.Jはラウドにトリメイトを静脈注射すると左の肩で難無く担ぐ。重症の人間の扱いとしてはいささか乱暴だが、置いてかれるよりはマシだろうというのが彼の持論だ。ラウドを担ぐ為、光学迷彩は外した。つけたまま担ぐとラウド一人が空中に浮いているというなんともコミカルな図になるからだ。どっちにしろ光学迷彩は電力を食い過ぎる。使用しながら戦闘は難しい。 J.Jは足音を忍ばせながら彼のメモリに示された図面通りに撤退を開始した。 しばらく移動していると気にしなければならぬ音が彼の聴覚センサーに飛び込んできた。 複数の足音。 追っ手だ。 「ヤバイですな・・・」 声は聞こえないが十人以上の人間が三班に分かれて行動している、動きは組織立っていて無駄が無い。追っ手としては最悪だ。さらに最悪なのはコンクリートに囲まれた狭い空間では身を隠すところが一つも無いという事だ。 「これはまずいですな・・・・・・」 J.Jは走る。コンクリートに囲まれた空間に金属音が響く。だが、所詮は一人担いでいるアンドロイドVS追っ手、である。足音はどんどん近づいてくる。 いくつかの角を曲がり、ついに追っ手の一人が後ろの角から見えた。足音からJ.Jは来た事がわかった。 即座に右手でジャスティスを発砲!止まる事も見る事もしない。足止め目的のバースト射撃はあたりのコンクリートを光弾で散らす! 追っ手の一人がJ.Jの射撃に驚き、止まった事で追っ手の速度が少し遅くなる。しかし、それは時間稼ぎにしかならない。とりあえず次なる角に飛び込んだJ.Jは走りながらヘッドセットに叫んだ。 「R4よりRリーダーへ!追い付かれましたぞ!応援はまだですか!?」 そう言った途端に後ろの角から三人の追っ手が飛び出した。手にはリピーター。一人の男を黙らせても、二人がJ.Jを撃つ。そうした変えようの無い事実がJ.Jを牽制する。逃げるしか手は無い。 J.Jは動きを加速、角に飛び込む。 空間をフォトンが灼く。J.Jは窮地に落ちた事を悟った。 「どうにもならないのですか・・・・・・!」 その一言で文句を止める、清水の様に心を正す。アンドロイドに心があるかどうかは専門家に議論してもらうとしても、今確かにJ.Jは一流の戦士のように『冷静』になった。 五分五分の賭け、集中力と生存への渇望が成功へのキー。 ラウドを担ぎ込んで『袋小路』の道へと移動。ラウドを自分の後ろに下ろし、盾になるように立つ。そして、ウォルスを取り出す。 「アルフは言いましたな」 J.Jは言葉をメモリで転がしてから言う。その重みを確かめるように。 「『戦う時は覚悟を決めろ』」 三人が飛び出す、リピーターがバーストで射撃される。しかし、それはJ.Jを掠めて終わる。走りながら撃って当てるのは難しい。 そして、J.Jは静止状態。そして、窮地が己の感覚を最高に研ぎ澄ます。 リピーターの射撃と同時に三発発砲!三人の肩を撃ちぬく! 「R4よりRリーダーへ!増援を求む、時間は稼ぐから早く来てください」 さらに三人が飛び出す。それも結果は変わらない。 それならばと銃だけ出して撃ってくる、それなら銃が撃ち抜かれる。 袋小路にしたことで後顧の憂いは無い。前だけに集中。伏兵も、強襲される心配もゼロ! 要はやられなければ良いのだ。 追っ手側の襲撃が止まる。人の気配だけが増える。追っ手側の増援がきているのだ。 「数だけ増えても何もかわりませんな!」 J.Jはそう言った。 すぐに自分の認識の甘さを思い知らされた。右腕の先が飛んだ。比喩ではない、何かに斬られたのだ。 顔面を何かが掴む。圧倒的な力がコンクリートにJ.Jを叩きつけた。 「俺の玩具を横取りすんなよ、ポンコツ」 短く刈った黒髪に細い目、いやらしく歪んだ口。特徴的なのは左目に大きな刀傷を持ってることだ。 「ジャン・ベウトーか」 「ポンコツが馴れ馴れしく口をきくな」 即座に掴んだ手に力が倍化される。フレームが歪む。金属が悲鳴を上げる。 「俺はアンドロイドとニューマンは嫌いなんだ」 しくじった。あいつらはこいつが来るのを待っていたんだ。 J.Jは自分の策の甘さを呪った。 「安心しな」 空間をフォトンが灼いた。ブラッディアートがベウトーの右手にあった。 「遊ばずに殺してやるぜ」 ブラッディーアートが残像を残さずに動いた。
ベウトーのJ.Jへの接近はベウトーとJ.Jが対峙する前にタークスに伝えられ一行に緊張感をもたらした。当然のごとく、タークスはJ.Jとラウドのためにその身を粉にして動いた。
その事態より三十秒前
J.Jを追撃する追手はある音に気づいた。 強烈かつ連続的に地面が蹴られる音。誰かが、二足歩行生命体が高速で近づいてくる音だ。姿は見えない。ビルがことごとく視界を狭めているからだ。 音が唯一追手の視界内に入る角に近づき、曲がった。 音の正体はその速度ゆえに体を倒して曲がるような事はしない。より速度を求めるかのように跳躍!壁を三角に蹴る!着地!さらに疾走! 姿が見えた。青銀のハンタースーツに金髪のヒューマン、アルフリートだ。何を持たぬ手を大きく、狂暴に振り、近づくものを薙ぎ倒さんとする疾風となってきた。 追手はアルフリートに向けて銃を構えた。彼等がアルフリートに唯一優るのは射撃による遠距離攻撃が一方的にできるということだけだ。 利点を生かすためにハンドガンが、マシンガンが光弾を吐き出し、弾幕となってアルフリートの前の空間にその身を埋める。 アルフリートは回避するために体を『倒した』。足首より先全てが地面と平行になり、10cmと離れていない。光弾はその彼の上を疾走していった。 このままでは無様に倒れてアルフリートの人生は終わる。そして、アルフリートに倒れる時間は無い。
あと十八秒
手を地面につき、強く短く押す!足が地面を強くノック!地面を跳び箱として追手の背より高く飛翔する。空中でトンボを切り、3人ほど巻き添えにして追手の中央に降り立った、と、同時に何も無かったアルフリートの両手に魔法の様に二丁のジャスティスが現れた。アルフリートは前進すべき方向へフォトンの弾丸を放つ、そして、前進。後ろなど振り向かない、たとえ敵がいようとだ! 当然アルフリートの背後の追手達は彼の無防備な背中に銃を向けた。 今なら確実にヤレル! しかし、その思いは確実なフォローの一手により無残に打ち砕かれた。否、『凍りついた』。 「私の周りの29のナノマシン!闇に塗れしコンクリートの狭間の空間達よ!氷の御手によって応えよ!」 背後の追手はルーンのテクニックによって氷山と化した。先ほどと同じ、中級テクニック、ギバータだ。 アルフリートはさらに前進!さらに発砲! しかし、まだ十人もいる追手の壁と、
あと十秒
その事実が一つの予定事実へとアルフリートとルーンの思考を導く。 (間に合わない) 「J.J!」 銃声にアルフリートの声が消散した。
その8秒前。 天蓋部作業用キャットウォークに一人の人影が見えた。前述したが、地上より100mのこの位置は対流と空調のために常に烈風が吹き荒れ、普通、人はいない。いるのは作業員か、 命知らずなハンターズ。 黒いレイマーがそこにいた。烈風に晒されてもその長身は微動だにせず鋭い眼光でただ下を見る。100m下の標的を。右手には火力と精密性を重視した厳ついライフル、ジャスティが握られている。 目標を視認、ジャスティを両手で構え取り付けたスコープで捕らえる。 弾道計算、経験より、知識より現実を客観的に見る『冷めた』頭脳が必要だ。そういう意味では彼もアンドロイドと大差ない。金属や生体部品の替わりに蛋白質で肉体が構成されているだけだ。彼は今限りなく「機械」だった。
あと五秒
不意に目標が高速機動を開始した。『獲物』を発見したのだ。黒いレイマーはまだ撃たない。目標が油断し、確実に当たるまで待たねばならない。それにあの目標はほぼ確実に獲物を弄る習性がある。―――をすぐには殺さないだろう。 冷静に待ち、
あと三秒
目標が獲物を押さえて止まった。完全に止まったのを確認。 好機! 黒いレイマー―――A.Dは三度引き金を弾いた。
ブラッディアートが残像を残さずに動いた. 三回、ベウトーの頭上でフォトンとフォトンが衝突した。 「ちぃぃぃぃぃぃ、いい時に邪魔しやがってぇぇ」 J.Jから手を離し、横に飛んで次の三連射をかわす。 そして、アルフリートが角から走りこんできた。熱を持って蒸気を上げるジャスティスの銃口をベウトーに向ける。ベウト
ーは即座に横にいるJ.Jにブラッディアートを突きつけた。 「そこまでだ、ジャン・ベウトー」 「フン、おまえか、アルフリート」 ベウトーの顔は常に笑みで染まっている。悪魔の本性を体現する為に。それしか知らぬように。彼は常に策を張り、他人を冷笑するために存在する。 「てめぇは相変わらず気にいらねえな、生真面目過ぎる」 「J.Jを解放して投降しろ、おまえの部下はもういない」 「ヤダヤダ、人の話し聞かないのも相変わらずだ」 「合わす必要が無いからな」 「じゃあ、聞く必要も無いな」 緊張感―――。 地上から100mのA.Dの殺気と10mと離れていないアルフリートの殺気、血臭と硝煙に塗れた空間は場の雰囲気を締め付ける。 先に喋ったのはジャン・ベウトー。 「そんなに怒るなよ、アルフリート」 茶化す口調がアルフリートの神経に障る。 「黙れ、武器を捨てて両手を頭上に組め」 「ハイハイ」 アルフリートは一切気を抜かない。アルフリートが知る限り、ジャン・ベウトーはどんな状況だろうと最後まで逃げる策を思いつく男だ。全てのハンターズに共通する生存への渇望はこの男にも共通する。 ベウトーの瞳孔が一気に収縮した。それは体が興奮状態に達したという合図だ。アルフリートの目はベウトーの変化に気づいた。両手に力を込め、人差し指が引き金を引いた。それは精密射撃によって阻止された。 左手に血の花が咲いた。その弾丸はアルフリートの筋肉を断裂させていた、もうジャスティスを持てない。A.Dと同様の高さ百メートルからの精密射撃だ。 「ちぃっ!」 接近を許した事に舌打ちしたA.Dはすぐに身を横へ転がした。今までいた場所にフォトンの火花が散る。 狙われているだと・・・・・・? A.Dは心の中でそう毒づくと『時間をかけて』逃走を開始した。居場所がばれたスナイパーなどもはや相手にとって何の脅威にならないからだ。時間をかけるのは敵側スナイパーに対する時間稼ぎだ。少しでもこっちを撃たなくなったら迷わず探索に移るつもりでいた。それは確かに功を奏した。敵側スナイパーはA.Dに足止めされ事実上勝負はジャン・ベウトー対アルフリートの図式になった。 そんな上空の駆け引きを知らないアルフリートは右手だけでジャスティスをバースト射撃!3発×3回の銃声と共にJ.Jのいる空間の前=ベウトーがいる位置に光弾が飛ぶ。 しかし、ベウトーの『ウリ』は策だけではない。逃走に重要、戦闘にはさらに重要なスピードが彼の得意分野だ。 ベウトーは体を独楽の様に回転させながら体を地面と水平にさせて2mの高さまで飛ぶこれには意味がある。弾丸がベウトーの身体の下をくぐる、予定調和を果たしてベウトーは地面に着地、着地したベウトーの姿はまるで100m走に用いるクラウチングスタイルの様だった。 「GO!」 咆声ひとつ−! その叫びすら置き去りにして、ベウトーはアルフリートに接近!両手に不吉な赤い光を宿すブラッディアート! アルフリートは冷静に右手のジャスティスをベウトーの額にポイント。
発砲。
されない!
ベウトーのブラッディアートがジャスティスを斬り裂く。いや、違う。本来の彼なら手首ごと斬り落とす。それが行われないのはアルフリートの発砲の構え自体が<フェイント>であるからに他ならない。右手を少し後ろに引き、腰が連動して左に回り、さらに左腕がインパクトの瞬間までゆるく握った血まみれの拳を前に運ぶ。ベウトーの顔に軽い音が弾ける。音の大きさはベウトーの動きを一瞬緩めるだけだという情報を大気に伝えた。 アルフリートの本命は右手、左手とは線対称の動作。そして、今度は右足の踏み込みも加わって威力が倍化される。捻りのないストレート! 「相変わらずセオリーだな!」 ベウトーの対応は非常に自虐的だった。頭をストレートに差し出す。そして、一歩踏み込む。ストレートがベウトーの額にインパクト。しかし、アルフリートの顔には痛みが、ベウトーの顔にはより強い笑みが浮かんだ。ベウトーはストレートが威力を発揮されないようにポイントをずらしたのだ。そして、額で受けたことによりアルフリートの拳にひびが入ったのだ。 ベウトーが動く。 アルフリートは死を予感した。ベウトーの手に握られているブラッディアートは死神の鎌の様にゆっくりと持ち上げられているとアルフリートは感じた。 「シュート!」 ブラッディアートがベウトーの手から飛んだ。フォトンの光がブラッディアートを破壊したのだ。 「ポンコツが!」 J.Jからのヴァリスタの一撃だ。すかさずアルフリートが右手で再度攻撃!しかしベウトーは大跳躍してこれをかわす。 ビルの壁を蹴り、そのまま屋上まで飛び上がった。ベウトーが見下ろす形でアルフリートに言った。 「運だけは相変わらずいいな、さすがは<強運のアルフ>だぜ」 「ぬかせ!」 アルフリートは跳躍しようと足に力をためた、だが。 『R−2深追いはいけませんわ。R−1とR−4を回収して撤退です。そろそろでセュリティが来ますわ』 『軍警察も動き始めました、到着まであと二分!』 サラとヘイゼルの声がヘッドセットマイクから聞こえる。アルフリートは歯軋りしてとどまった。ベウトーを見る視線に鉛の重さを追加して睨み、一つの言葉を思い出す、遠い昔に刷り込まれた一つの言葉だ。 敵は排除しろ! アルフリートは心の底から言葉を叩き出す。 「あくまで私達と敵対するつもりか、ベウトー」 「結果として、そして・・・」 口の歪みが耳まで広がり悪魔らしさを増長させる。それは笑みであろうか? 「趣味だからな」 「敵対するなら心に刻め!我等を相手にすることは」 これは恫喝である。 「命が代価と知るがいい!」 それは闘争の神に愛された者の鉄の重さの言葉だ。 「悪いな、俺は自分の得になる事しか考えない男でな」 べウトーはあっさりと姿を消し、沈黙だけがそこに残った。
運命が始まりを告げる。闘争の始まりを。宿命の始まりを。 幾つの命が奪われるかの式を知らず、およその解答を知りつつもヒトは幾度と繰り返す。それこそが進化の階段でもあるように、常に楽園を夢見て。 UHO騒乱のこれが最初の一手である事を我等はまだ知らなかった。
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